八発白中

技術ブログ、改め雑記

シンプルさはスタイルではなく必然性

 Lispの話とデザインの話が交互に出てくるブログって誰得な感じですが、最近自分もデザイン力を身につけなければならないと思い立ってひっそり勉強しています。

 そもそもデザインとは何かについて人に自信を持って言えるほどの知識も何もない状態からのスタートなので、はてブで流れてくる方法やインスピレーションを喚起、もしくは最近流行りのUI/UX系の記事がはてブに流れてくるのをスルーしつつ、地道にデザインの本質を探っているところです。それにつれ、自分の考えも変わったり周りの意見にも懐疑的になるのは面白い体験です。

 たとえば、Appleの影響で、シンプルは良いものだ、という考えが広く受け入れられるようになりました。ただ、この字面だけでは何が良いのかわからない。以前、"シンプル"についてツイートしたことがあります。


 ただ「シンプル」って言うだけでも数多くの意見があって、ただ単に"分かりやすい"っていう意味だったり、"構成物が少ない"という意味だったりしてかなり曖昧な概念だということに気づきました。またその概念自身を何に適用するかによっても話が違い、たとえばメモ帳を作るのと携帯電話を作ることでは考慮すべきことは違うはずです。誰が使うのか、どんな機能があるのかによって作るべきものは変わるはずです。

 昨日、Casa BRUTUSを買ってAppleのジョナサン・アイブのインタビューを読みました。

Casa BRUTUS (カーサ・ブルータス) 2012年 03月号 [雑誌]

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 そこでジョナサン・アイブが、「シンプルさはスタイルではなく、必然性だ」、と言っているのがとても腑に落ちました。それが解決する問題に極限まで近づくと、こうなるしかなかったという一種の納得感を生むまでに至る、それがシンプルなのだと。

 ただ、そこに至るまでの険しいチャレンジと行ったり来たりの繰り返しは見えないので、製品やその哲学である"シンプル"という上辺だけでAppleのデザインを評価しがちなんだけど、デザインする側に回るのであれば意識すべきですね。