女性の社会進出によって加速するジェンダー格差と企業による搾取
コロナ禍に見舞われてから、「エッセンシャルワーク」という単語を目にするようになりました。社会の中で必要不可欠な仕事、医療従事者や宅配業の配達員、スーパーマーケットの店員、ごみ収集員などがそれに当たります。
一方で、2020年7月に日本語訳の「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論」 が刊行されるなど、個人的には仕事とは何か、必要か必要じゃないかという視点を持つことが頻繁になりました。
ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。
――デヴィッド・グレーバー「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論」
私は彼の「負債論」に魅了されて以来デヴィッド・グレーバーの軽いファンだったので、彼の新刊であるブルシット・ジョブは出版されてすぐに読みました。書かれたショッキングな内容に「テクノロジーを使って生産性を上げる努力をしてきたプログラマの存在価値とは……?」と思い悩み、仕事が手に付かない日もありました。
そして、必要な仕事とは何か、自分ができることは何かなどを考える中で、経済、宗教、歴史、文化人類学などの本を読み進めて現代社会に対するさまざまな疑問と回答を得ました。
その一つが「家事」に関して現代で横行している新たな搾取の疑惑です。
家事というケア労働
「家事」というものは全年齢層で最も身近な労働だと思います。自分や家族の食事を用意したり片付けたりすること、素材の買い出し、家の掃除やゴミ捨て、子どもを含む家族の世話、衣類の洗濯、また家庭によっては庭の水やりやペットの世話も含まれるでしょう。つまりは賃金が発生しない家庭内の仕事のことです。
家事は数日怠っただけで台所に洗い物が溜まったり、洗濯物が山積みになったり、ゴミ箱が溢れたり、テーブルの上に物が散乱したりします。料理をせずにファストフードばかりで済ませていると遅かれ早かれ健康を害するでしょう。生活するためには無視できない仕事という意味では、家事もエッセンシャルワークと言えるかもしれません。
歴史的にはこの家事や育児は女性が担ってきた社会が多いようです。
「なぜ、脱成長なのか」という本では産業革命を通じて賃労働の仕組みがどのように生まれ、男女の役割が固定化されていったのかを説明した箇所があります。
経済拡大のための労働力を安く供給し、維持し、増やしていく手段として、生産労働/再生産労働*1の性別分業は数世紀をかけていっそう進化した。イタリア出身でフェミニストの社会学者シルヴィア・フェデリーチは、人的資源を再生産する機械という女性の立場を固定した暴力的な歴史的経緯を明らかにしている*2。男性においても特定の層は、他人にとっての利益を生む機械という立場が、等しく暴力的な経緯によって固定されていった。
(中略)
搾取を通じた成長は、片方を選びもう片方を犠牲にするという、アンバランスな関係で成り立っている。労働者に払う賃金を下げれば、生産コストも下げられるが、労働者が健康を維持し消費活動を行う能力は損なわれる。女性に無償で家事労働をさせれば、男性は賃金労働者として、雇用主にとって効率のよい働き方をする。
――「なぜ、脱成長なのか」4名共著
こういった社会全体での分業化と賃労働の発生、男女の役割の固定化は日本では太平洋戦争後の昭和期に定着しました。引用した文に記載されていますが、ここで男性が行う1日8時間の労働というのは、女性の無償によるフルタイムの家事育児によって支えることが前提となっています。
けれど、現代では女性の活躍と謳って、女性たちを労働市場に送り出している。結果として男女ともども生産労働に従事することになってしまっています。
えっと、そうすると家事って誰がいつやればいいの?
家事はどこへ消えた
今まで専業主婦がフルタイムで行っていた家事が、現代ではやる必要がなくなったわけではないでしょう。結局会社で賃労働をしつつ、空き時間で家事や育児もやるという生活をせざるを得ません。
近年、日本に限らずこの家事労働が、女性が働く社会でも女性に負担が偏っているという指摘があります。
2013年にスペインで行われた研究で、各個人が年間の時間 (hours/year) をどのように生活しているかをカテゴリ別に集計したものを示します*3。
以下はその時間を男女別に分けたものです。 左が男性、右が女性の時間の使い方を示します。
カテゴリの説明は以下です。
- PO(水色, Physical Overhead): 睡眠や食事など生きるために必要な時間
- STs(赤, Study at school): 学校での勉学
- STu(黄色, Study at university): 大学での勉学
- UW(黄緑, Unpaid Work): 家事育児
- PW(紫, Paid Work): 賃労働
- LE(黄土色, Leasure and Entertainment): 娯楽
- TR(茶色, Transport): 移動する時間
男性も女性も似通っていますが、UW(家事育児)とPW(賃労働) の割合が違います。男性の方が賃労働が多く、女性の方が家事労働が多いです。このことから、女性が生産労働もしながら家事も引き続き引き受けていることがわかります。そしてその合計時間割合(UW + PW)を考えると、男性は19.9%、女性は23.4%と少しだけ女性の労働時間が長いです。
「全年齢の合計データだから、高齢者の家庭が割合を引き上げているのではないの?」という疑問については以下の年代別グラフが回答になります。労働世代の25〜64歳に絞ってみても同じ傾向が見られます。
「女性活躍」の課題
このように家事労働の負担にジェンダー間の偏りがあるにもかかわらず、女性も社会で働きましょう、と言っても女性の負担が増えるだけです。負担を軽減しないまま推進すれば、仕方なくパートタイムの非正規労働を選ぶ傾向を作ります *4。これではジェンダー差別の現場が家庭から労働市場に移っただけで男女平等の実現には程遠いでしょう。
それでも8時間の正社員労働を行おうとする女性は、娯楽時間を諦めるか、睡眠時間を数時間は減らさなければ24時間の枠に収まりません。パートナーの協力を得られたとしてもお互いの負担は無視できません。有り体に言えば2人で3人分の仕事をこなすことを現代では求められているわけです。
そんな苦しい社会の中で、得をしている市場プレイヤーもいます。それは雇用主、つまり企業です。
大量の女性が労働市場に流れ出ることで安い労働力を潤沢に得た企業は、生産コストを下げて余剰利益を上げやすくなります。
やや穿った見方かもしれませんが、経済成長を掲げた本邦の政府が2015年に成立させた女性活躍推進法は、少子化による労働人口の減少を補完する安い労働力として女性たちを労働市場に供給することで、企業が利益を得て株価をあげ、見た目上の経済成長を演出する一助としたと考えることもできます。
男性にもいいことはありません。労働人口がカサ増しされたことで男性の労働力の価値も下がり、企業に対する立場が低くなって給与交渉がしづらくなったり、悪ければ失業したりする危険もあります。一方で家庭に帰れば家事育児への参加を当然ながら求められるでしょう。
男女平等参画を推進するときの障害として政治や企業、あるいは経済システムが話題に上ることはあまりないと感じます。そういったものよりは、家事に非協力的な男性が槍玉に挙げられることが一般的な声としてよく見受けられます。
けれど、各家庭からやや引いた視点で見てみると、前述したように男性も女性も段々つらい社会になっていっています。その現状で手近にいる男性に怒りをぶつけてもいいことはなさそうです。
どうすればいい?
男性は8時間の生産労働、女性は再生産労働をすることで持続可能となった産業革命以降の社会システムが現代では適応できなくなってきているのだとすると、新たな持続可能な労働のルールを雇用主と労働者の間で考える必要があります。
そのためにできることは、男性も女性も協力して一律に労働時間を削減するように企業や社会に求めることだと私は思います。育児休業の制度を作り取得しやすい環境を整えるのはもちろんのこと、時短勤務や週休3日以上の柔軟な労働契約も選択可能にするなどが考えられます。
2020年にフィンランドで若くして首相になったマリン氏は、1日6時間労働・週休3日制の社会を目指すと表明しました。
男性も女性もマイナス2時間の労働時間で、その間に協力して家事育児をやるならば今よりずっと無理もなくなるでしょう。
企業の取り組みの例としては、日本マイクロソフト社が実験的に週休3日制を導入してその成果を好意的に評価していますし、ヤフー社は週休3日制の導入を検討しているという話もありました。
大企業でこういった動きが国内でも見られるのは良いことだと思います。ただ、IT業界という変化に寛容な業界に少数の例が見られるだけなので、社会全体がその恩恵を受けられるよう継続的に社会・企業に変容を求めていく必要がありそうです。
*1:「再生産労働」とは、直接的にモノを生産せず、報酬が発生しない労働のこと。生殖・出産活動を含む家事労働など。
*2:引用元注釈: シルビア・フェデリーチ『キャリバンと魔女 資本主義に抗する女性の身体』(小田原琳・後藤あゆみ訳、以文社、2017年)
*3:出典: Household work and energy consumption: a degrowth perspective. Catalonia’s case study
*4:実際、非正規雇用の男女別の割合は、男性は21.9%なのに対し、女性は55.5%という数字が男女共同参画局から公表されています I-2-6図 年齢階級別非正規雇用労働者の割合の推移 | 内閣府男女共同参画局
クローン病として17年間治療していたが違う病気だった
「すると、蘭方はわからぬことばかりでござるな」
松岡は、大きく笑った。
「左様」
伊之助はうなずき、
「蘭方はほんのすこしだけ人体と病気のことについてわかっている。漢方は唐土の神代の昔から陰陽五行説なる大投網にて人間をひっからげてしまうために、すべてが初めからわかっている。しかしすべてわかっているということは、何もわかっていないということと同じです」
彼岸もすぎて空を覆う羊雲を眺めながら、相変わらず医学というのは分からぬことばかりで無力だなと感じています。
首相辞任のニュースにより「潰瘍性大腸炎」という病気がにわかに有名になりました。大腸に潰瘍ができること。食餌制限があること。原因がわかっておらず完治しないこと、などがこの病気の概略的な説明でしょうか。
似た病気に「クローン病」というものもあります。こちらは大腸に加えて、小腸、胃、食道など消化管全体に同様の潰瘍ができる病気です。どちらも自己免疫性疾患で、IBD (炎症性腸疾患, Inflammatory Bowel Disease) と合わせて呼称されることが多く、“兄弟”病とも言えるような病気です。
私は15歳のときにこのクローン病の診断を受けました。
ところが、その後の治療はどれも芳しくなく入院を繰り返し、一度は大腸切除手術まで行ったにも関わらず、結果的に違う病気だったという診断に至りました。似たような境涯の人もいるかもしれないので記録として残しておきます。
遺伝子検査の結果、今更ながらクローン病とは違う病気であるということがわかった。17年間治療してきたのにな…。どうりで薬が効かないわけだわ
— fukamachi (@nitro_idiot) November 7, 2019
免責事項: 私は医学の素人なので記載内容の医学的な正しさは保証されません。
何の病気だったの?
新しい診断は「家族性地中海熱」という病気でした。
この病気の症状には典型例と非典型例がありますが、典型的には1ヶ月程度のサイクルで38度以上の発熱と激しい体の痛みがあるというものです。発熱は半日から72時間続き、自然に快癒するという発作的な症状を示します。
この病気は特定の遺伝子によって引き起こされる病気とわかっています。病名に冠された「家族性」というのは遺伝するという意味です。ただし、劣性遺伝するため、必ずしも血縁者が同病気を患うわけではありません。
もともとトルコやアラブ、アルメニアなど地中海地方の国で多く見られたため地方病と考えられており「地中海熱」という名前がついているようです。しかし、遺伝性であることから土地柄よりも民族的な違いのほうが強く、場所が限定されるものではありません。のちにイギリス、インド、中国、アフガニスタン、ハンガリー、日本でも発症報告が出ています。*1
日本での患者数としては、潰瘍性大腸炎が12.5万人、クローン病が4.3万人に対して、家族性地中海熱は267人です。*2
病名 | 患者数 | 人口比 |
---|---|---|
潰瘍性大腸炎 | 124,961 | 0.0988% |
クローン病 | 42,548 | 0.0336% |
家族性地中海熱 | 267 | 0.0002% |
人口比0.1%以下が難病とされており、潰瘍性大腸炎は難病の中では患者数が多く、パーキンソン病に次いで国内2番目の多さです。クローン病はその1/3程度。
それに比べると家族性地中海熱は希少な病気と言えそうですが、潜在的な患者数はもう少し多いと考えられています。
たとえば1ヶ月の周期的な発熱と腹痛というのは女性患者の半数は生理と重なり、自ずと見過ごされがちになるといった要因があるようです。
はじめに主治医からこの病気について聞いたとき「東北と九州に患者数が多い」と言われました。
はて、民族的な共通点があったかな?――と考えたのも束の間で、先生は笑いながら「岩手に専門医の方がおられてしきりに患者を『発見』されたので患者数が多いのです。そしてその先生は今福岡にいます」と種明かしをしてくれました。
後で調べるとこの2県の患者数が際立って多いというデータは見つかりませんでしたが、実際には日本人にもある病気なのだという認識が医者の間にもなく、患者の多くが放棄されているようだというエピソードとしては象徴的だと思います。
なぜ診断をあやまったのか?
ここから「家族性地中海熱」を「FMF」と表記します。
ここまでの説明だけを見ると、さてIBDとの共通点は何かな?と疑問に感じます。なにしろFMFの症状の説明を見ても、どこにも腸疾患の説明はないのです。
実は、近年になってIBDのような症状を示すFMFの患者の報告が増えているようなのです。
2012年12月に札幌医科大学の医師たちが症例レポート*3を上げています。
この事例ではIBDとして典型的な特徴 (おそらく縦走潰瘍?) はなかったとしていますが、粘膜性の腸炎があり、最終的にはFMFの治療薬であるコルヒチンの投与のみで寛解にまで至ったという目が覚めるような事が書かれています。
これに続いて2018年1月の岩手医科大学の医師たちの症例レポート*4では、縦走潰瘍というIBDに特徴的な腸病変を持つ男性がクローン病と診断されていたにも関わらず、のちに遺伝子検査でFMFであることがわかったという事例がありました。
海外の事例でも、先んじる2010年12月にトルコの報告*5にて、IBD患者群に対してFMFの遺伝子検査を行ったところ、クローン病の患者にFMFに特徴的な遺伝子変異を多く見つけたというものもあります。
これらのことから、IBDと診断されている患者の中にも実はFMFの患者が含まれているのではないかという疑惑が生まれています。
私の場合も縦走潰瘍が小腸・大腸に広く見られ、クローン病として診断されるのは無理もないかなと私自身思います。
けれども、それとは別に頻繁な発熱はありましたし、レミケード、ヒュミラ、ステラーラなどクローン病の新薬と謳われたものはいち早く使ってきていずれも効果が薄かったです。
FMFの特徴の一つである、虫垂炎のような激しい腹痛がない、ということでなかなか遺伝子検査に話が進まなかったのですが、結局はやることになりました。
遺伝子検査をする
遺伝子を解析して病気やその血縁者、背景を明らかにすることは社会的な影響が大きいという共通理解が医学界ではあるようです。
たとえば遺伝子検査をすることで、この配列は病気になりやすいといった理由で保険に入れなかったり、結婚を断られたり、血縁関係から差別に繋がったりなどが考えられます。
厚生労働省のヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針では、基本方針の第一に「人間の尊厳の尊重」を掲げています。
そういう時勢で、私のFMF診断のための遺伝子検査も倫理委員会の審議と承認を経なければなりませんでした。そこからくる主治医の腰の重さも感じていたため、ただ待つだけの私自身も少し気が重かったです。そして、待っている間の治療は大して効かない薬を現状維持で投与し続けることになります。
過去の記録をさかのぼると、
- 2018/03 FMFという病名を聞く
- 2018/08 遺伝子検査をすることで主治医と合意
- 2018/12 倫理委員会の審議を通過したとの報告あり。検体送付。
- 2019/11 遺伝子検査結果からFMFと診断される
という時系列で話が進み、審議だけで4ヶ月、検査にはさらに時間がかかって11ヶ月を要しています。
結果的には正しい病名を知れてよかったね、なのでしょうが、聞いたときは今までの17年の苦労はなんだったのかと呆然としました。
どう受け止めていいのか困る私を前に、主治医はひどく観念的な話をしました。
「遺伝子に“異常”があるのではないのです。これも昔から人々にある個性や癖です。人によっては手が器用だったり足が速かったり。それと同じで消化が下手な人もいます。免疫システムの使い方が下手な人もいます。そういった人々に病気として現れているだけなんです」
こういう説法を患者ごとにしているから診察時間が2時間も遅れるのだという冷めた目も秘しつつ、確かにそのようなものかな、と意味もなく気持ちが軽くなるような気がしました。
その後の治療
FMFと診断されたあとも、従来のIBD専門医に診てもらっているというのは不思議な感じがします。しかし、FMFの専門医というのは実際ほとんどおらず、私の非典型例の“IBD的な”症状について専門の医師に診てもらうのが現状のベストなのかもしれません。
FMFは特効薬ともいうべき「コルヒチン」という薬があります。一般的には痛風に使われる錠剤で、これを継続的に飲み続けることで約90%以上の患者は快癒すると言われています。
これを私も1年弱飲み続けているわけですが、私にはどうやら効き目が薄いようです。「これまでの長い病歴による慢性的な潰瘍を抑えるにはコルヒチンは力不足なのかもしれない」と主治医は自信なさげな説明をしました。
自分でも個人的にFMFについて調べてみましたが、まだわからないことばかりの病気です。「胡蝶の夢」の伊之助の時代から随分と進歩したはずの医学も、相変わらず私の病気は治せないのだということに驚きつつ、どうにも困った“個性”を受け継いだものだな、と自分の遺伝子に呆れる毎日です。
*1:Familial Mediterranean Fever (Rare Diseases of the Immune System Book 3)より。
*2:難病情報センターの特定疾患受給者数 平成30年度末データより。人口比は統計局の2018年10月データを元に算出。
*4:Familial Mediterranean fever mimicking Crohn disease
*5:The association of inflammatory bowel disease and Mediterranean fever gene (MEFV) mutations in Turkish children
AtCoderはじめた
アルゴリズムの勉強も兼ねて2019年末からAtCoderをはじめました。今はレーティング208の灰色コーダーです。
12/22のAtCoder Beginner Contest 148 (以下ABC) からRatedなコンテストは全参加で6回出場しました (ただし2回は運営上の問題でUnratedになった)。ABCに参加するとC問題までは安定して解けるがD問題が解けるか解けないかくらいの感じなので、続けていれば緑コーダーくらいはいけるのかなーと思っています。もうちょい勉強してその上の水色くらいは目指したいところです。
参加所感
AtCoderの問題はアルゴリズムを知っているかだけでなく、そもそも問題文を正しく読んで、どういったアルゴリズムを適用しうるかから考える必要があります。まあ競プロやっている人は有名アルゴリズムは一通り知っているわけで、どう書けば解けるか自明な問題だと差が出ないだろうから当たり前といえば当たり前のような気がしますが、このため単純な能力測定というよりはゲーム的な要素が高くなっています。
問題文を読み間違っていたり、適用するアルゴリズムを間違って実装に走ってしまったりすると致命的になる感じです。なのでアルゴリズムやプログラムの勉強だけでなく、ある程度の過去問での反復練習で慣れておく必要がありそうです。この辺は好き好きありそうですが今のところ楽しく参加できています。
Common Lisp
一番得意なCommon Lispでコンテスト参加しています。
提出状況を見ると他に5〜6人くらいがCommon Lispで参加しているようです。けれど、ABCのE, F問題を解けるくらいの人は1人 (sansaquaさん) くらいしかいなさそうです。この方、Qiitaの記事でCommon Lispで競プロするTipsを紹介してくれていてとても参考になります。コンテスト終了後に回答を見て学ばせてもらったりしています。
懸念点
Common LispでAtCoderに参加する懸念点もいくつかあります。
たとえば、AtCoderでオンラインジャッジされるSBCLは1.1.14という6年前にリリースされたバージョンです。さらにテストは sbcl --script
で実行しているためコンパイル時間も実行時間として扱われます。そのためCommon Lispの真価が発揮できていないという声もちらほら見聞きします。*1
けれど僕が参加してみた感じとしては、これらは些事です。少なくとも、ABCのDを解けない程度の僕のレベルではあまり問題にはなっていません。
TLE (実行時間オーバー) になって「まじかよ…Common Lispはもうだめか…」と思ったときもあるにはありますが、終了後に解答を見ると、そもそも効率の悪いアルゴリズムで実装していたと気づきました。まっとうな実装なら最適化オプションをつけなくてもすんなり通ります。その経験があってから、TLEになったらAtCoderが悪いというより自分が悪いのだと思って反省しています。
解いていて提出したらWA (不正解、ただしスタックサイズが足りずに死んだデバッガ出力が認識されている) とかもありました。が、これは解決策があるので再帰を使うときは定型文一個貼り付けるのを忘れないようにしようということでまあよいと思います。
もちろん、バージョンは新しいほうがいいですし、コンパイルフェーズもあったほうがいいのですが、今のところは僕は不自由していないです。
使ってるもの
競プロ参加する上で開発環境を整えたので、簡単にそのツール紹介をして終わろうと思います。エディタはNeoVimです。
- online-judge-tools
- CLIでの問題とサンプルのDLとテスト実行、提出までできてしまう最高のプロダクト
- atcoder-cli
- getac ※自作
- テスト実行
- online-judge-toolsでもテスト実行できるけど、存在に気づかずに作ってしまった
- 捨てようと思ったがテスト結果の出力がコンパクトだったり、WA時のdiffの色付けがあったり自分好みなので継続利用している
- vim-quickrun
- NeoVimで簡単にテストを走らせるために使ってる
<C-x><C-x>
でgetac
が走って結果を表示してくれる
- neosnippet.vim
- smartcd
あとツールではないですが、AtCoderのコンテスト開催に気づけるように「from:atcoder コンテスト開催のお知らせ」のTwitter検索をIFTTTでメールで飛ばすようにしています。公式のカレンダーが機能していないので…。GAS使えば自動でGoogleカレンダーに入れるとかもできるかもしれない。 → した。AtCoder Contest Calendar
その他、便利ツールがあったら教えてください。
OSS利用企業はOSS開発を支援してほしい
先日同僚と酒の席で話をしていた。
僕「最近OSS書けてる?」
同僚「書けてないです。仕事してたら書く暇なくないですか」
1年前まではリモートのパートタイムで働いていた彼としては、週5日フルタイム勤務になってから使える時間が大幅に減っただろうことは簡単に想像がつく。
とはいえ、働かなければ生活費が稼げない。
「どうにか時間を作って開発するしかないね」
僕個人としては若い彼にはもっとOSS活動をしてもらいたいし、うちの会社に入ってからOSS活動ができなくなったと言われるのは入社のときに間に入った自分としては心苦しい。そんなことを考えながら苦い顔をしていると、反対に質問された。
「深町さんはOSS書いてますか? どうやって時間作ってますか?」
「いまは育休中で育児に忙しいから、時間は取れたり取れなかったり」
「仕事してるときはどうでしたか?」
「うーん…僕もあんまり取れてたわけじゃないね」
翻って自分のことを考えると、この若者にアドバイスできるほどにうまく時間を作れていたわけではない。仕事終わったら急いでご飯食べて、気づけばもう深夜なんてことはよくある。仕事が終わって帰宅したらクタクタで頭が働かないという日がほとんどである。定時で帰ることも多いが、残業で帰りが遅れることも珍しいというほどでもない。
1日24時間
働きながらOSS活動というのはそもそも無理があるのだろうか。万人1日24時間あるはずだ。時間の使い方が下手なだけではないか。そう思って我々は、自分たちが24時間をどのように使っているかを計算した。
「一日何時間寝たら十分かな?」
「8時間寝ないときついです」
8時間は比較的長い睡眠時間だと思うが、必要な睡眠は人によって違うので彼にとってこれを短くするのは難しいだろう。彼と話す中で睡眠障害っぽいなと感じることもあるのでこの睡眠時間は重要である。
残り16時間。
「毎日定時で働くと8時間だよね」
「はい」
残り8時間。
「昼休みが1時間」
残り7時間。
「通勤が片道1時間なので、2時間です」
残り5時間。
「晩ごはん食べるのはどれくらい?」
「帰って1時間くらいですかね」
残り4時間。
「朝の支度はどれくらい?」
「30分もあれば」
残り3時間30分。
「あと風呂か。そういえば良質な睡眠を取るには睡眠の2時間前には風呂入ってPCとかスマホとか見ないようにしなきゃだよ」
「そもそも今もベッドに入って寝付けるまでに2時間くらいかかります」
残り1時間30分。
フリータイム1時間30分
「こんなものかな。空き時間があと1時間30分あるじゃん」
「1時間30分ありますね」
僕が最初に想像していたほどには時間がなくてちょっと笑いそうだったが、こんなにあるじゃん!という顔をしてとりあえず彼の反応を見る。
「よし、じゃあOSS活動できるかな?」
「そうですね……でも、他のすべてを投げ売って、ようやく1時間30分しかないんですね」
まあ、そうだ。家に帰ってぼーっとはてなブックマークを見ていたら1時間30分なんてすぐに溶ける。
「そうだね」
「仕事は8時間あるのに」
もっともな話だ。仕事は8時間もあるのに、プライベートで使えるのは1時間半しかない。週5日の平日をこうして我々は生きている。
とはいえ趣味の活動と考えれば仕方のないことかもしれない。「好きでやってるんでしょ?」という言い方でこの話を終わることもできるだろう。ゲームをする時間が足りない、という話ならそうだ。けれども、OSS活動に関しては必ずしもそうやって切り捨てられないと僕は思う。
弊社では開発の中でオープンソースプロダクトを使っている。その中には個人が作ってメンテナンスしているライブラリも多く含む。依存していると言ってもいいレベルでプロダクトのコアとなる部分にまでOSSは使われている。
その中には僕が作ったものもある。主要なものだとWebフレームワーク (Utopian)、O/Rマッパー (Mito)、依存ライブラリマネージャー (Qlot)、Webサーバー (Woo)など。これらがどのように作られたか。数年前から仕事をしながらやりくりした細切れの時間を使って完成させたものや、会社を辞めて無職期間中に作ったものばかりである。
こういった個人が余暇に心血を注いで作ったものに弊社のプロダクトは依存しているわけである。
それにも関わらず、仕事をしながらOSS活動ができないというのは問題だと思う。将来的に生まれたであろうプロダクトを犠牲にしているという点で損をしているし、倫理的にも個人の努力に企業がフリーライドしているとも言える。
実際、僕自身が仕事をしながらOSS活動を十分にできているとは言えない。どれくらい取れていないのかというと、日常的に報告されるIssue/PRの数は、消化数よりも多い。つまりIssue/PRは増え続ける一方である。現在openなものは全プロダクトで180個くらいある。ライブラリの品質を十分に維持できないことは利用する企業にとって直接的な不利益となる。
OSS Friday
弊社ポケットチェンジでは今年から、毎週金曜日を OSS Friday と呼んで、2時間だけチーム全員がOSS開発をする時間を設けている。「2時間は短い」という声はあるし、人によってはインタラプトがあって2時間も取れないこともある。実際、先に話していた同僚もこの制度だけでは十分な時間が取れているわけではなさそうだ。けれども社内合意を最小限としてお試しで始める時間としては悪くないと思っている。
OSSを使う企業はOSS開発を支援してほしい。社員にOSS活動の時間を与える以外にも、会社の近くに住めるように近距離通勤手当を出すというようなものも支援になりうる。個人の努力に頼り切るのでなく、何かしらの形で企業が積極的に歩み寄るほうが健全だと思う。
念の為に言うと、僕個人がOSS活動が十分にできていないことに不平を言いたいのではないし、OSSを支援しない企業はダメだよねという同意を読者に求めているのでもない。企業と個人開発者のお互いの将来のためにOSS活動を何かしら支援してほしい、という個人的な願望である。
近年、個人のGitHubアカウントの提示を面接時に求める企業も増えている。OSS活動を評価して入社させるならば、それを継続できるような支援も必要ではないか。OSSが使われるだけでなく、OSS活動を支援する企業も増えていけばいいなと夢見ている。
面接でGitHubアカウント確認したりOSS活動をしていることを評価するのに、いざ業務ではOSS活動するのは禁止とか意味がわからないから好きに開発すればいいと思う
— fukamachi (@nitro_idiot) July 21, 2018
リードエンジニアが育休を6ヶ月取ることにした話
先月子供が産まれました。この記事は育休を取得しようと思った経緯を書き綴ったものです。
妻の記事はこちら。
ことの始まり
2019年1月。妻は妊娠7ヶ月を迎えていた。
うちは夫婦共働きで二人共30代の中堅会社員。子供が産まれても働き続けたいという希望はある。けれど初めての子であるために働きながら子育てをするとはどのようなものかという実感が薄い。Web上には育児の大変さを吐露する書き込みはいくらでもあるが、それらは隣町の火事程度にしか思えず漠然とした不安しかなかった。
夫婦の両母親には出産予定日を伝えてある。産後に手伝いに来てくれないかという依頼を伝えるためである。しかし二人とも仕事をしているという都合や、遠方 (福岡) に住んでいるという事情もありなかなか思い切りのよい返事は得られない。
妻から育休の話をされたのはその頃だった。
――育休を取る予定はある?
育休は誰でも取れる
僕が働いているのは社員20人にも満たない小さなスタートアップ。入社時に育児休業の制度についての案内はない。メルカリとかもっと大きい企業で働いていればあるいは育休も考えたかもしれない。
ここで自分の無知を晒しているのだが、育児休業は会社の制度ではない。国の法律 *1 で定められたものである。つまりは勤め先の大小、制度に関わらず育児休業を取得することができる。さらには雇用主が従業員の育休を拒否することはできない *2。また、育休取得を理由に解雇などの不当な扱いをしてはならないことになっている *3。
このことを僕は妻から教えられた。ということは自分も育休を取得することができるのではないか?
育休を取るか取らないか
ここで初めて育休を取るか取らないかという問題と向き合うこととなった。
家族のことのみを考えるなら当然ながら育休を取るのが正しい。懸念はやはり会社のことだ。
会社では僕はリードエンジニアという役割を与えられている。マネージャーが別でいるわけでもないので、マネージャー的な役割も一部で兼ねている。主に開発進行と技術選定、コード品質管理、メンバーの成長を責務としている。
育休を取るに当たってさらに後ろめたい要素としては、担当のプロダクトが自分が一人でスクラッチから書いたものであり、僕しか見ていない箇所もそれなりにあることだ。使っているライブラリ群も僕が作ったオープンソースプロダクトを大胆に使っている。もし育休を取得するならチームメンバーの負担は大きなものになるだろう。
チームのメンバーは5人と小規模だが、翌月さらに2人の増員が予定されていた。そんな状況で2ヶ月後に育休を取っていいものだろうか。
半育休という選択肢
1ヶ月程度の育休ならば無理はないかもしれない。会社にも言いやすいだろう。けれど、生後1ヶ月といえば寝返りをうつこともできない無力な赤子である。その赤子を妻一人に任せて仕事をするというのは十分に育児の責務を果たしたと言えるのだろうか?
この難しい問題を数週間塩漬けにしたある日、また妻から有益なことを聞いた。妻の会社の同僚男性は半育休と言って育休取得中も週数回程度の勤務を続けていると言う。そんなことも可能なのか。
調べてみると、 育児休業中は給付金がもらえるのだが、この給付金は月に10日 (または80時間以内) の就労であれば支給される。これを利用して週2・3回や超時短での勤務をしても育児休業給付を受けることができる *4。俗に半育休と呼ばれているらしい。
育休を取ることの決定打となったのはこの情報だった。そして期間ももっと伸ばしてもいいのではないかと考え始めた。
どれくらい育休を取れば十分か
どうせ育休を取るなら不安がなくなるまで取ってしまいたい。どれくらい取れば十分なのだろうか。3ヶ月?半年?それとも1年?
結果的に自分は6ヶ月に決めた。3ヶ月では首もすわらない子を妻一人に託す心配が強く、とはいえ1年では長いような気がする。間を取って6ヶ月くらいがよかろうと決めた。
やや蛇足のような話だが、男性に限っては2回に分けて育休を取得することができる (パパ休暇)。我が家では共働きのため1歳で保育園にいれる予定でいるが、その入園準備に母親が忙殺されるという話も聞いたためにその時期に合わせて二度目の育休を取ることも考えている。
追記: パパ休暇は生後8週間以内に育休取得開始および終了したときという条件らしく僕の場合は該当しないよう。
社長に伝える
時は2月末。この時点で妻は妊娠8ヶ月で産休間近。翌々月出産と考えると育休の件もそろそろ会社に伝えねばなるまい。
取り急ぎSlackのDMで社長に育休を取りたい旨を相談という形で連絡した。
返事は、まだ制度を整えていなかったために社労士と相談してまとめたいので時間をくれとのことだった。
その後一ヶ月ほど待たされての面談である。
前述の通り、雇用主が従業員の育休を拒否することはできないし、育休取得を理由に不当な扱いをしてはならない。にも関わらずWeb上では育休取得に関しての雇用主との対立の話はときどき見られる。もし拒否されたらどうしようか。そう考えて面談のときには少し緊張していた。
面談では社長から育休の概要を伝えられ、期間や半育休、二度目の育休について相談をした。結果どれも希望通りになりそうだった。さらには社長は歓迎よりの態度だったことが安心感がある。半育休の話についても生後3ヶ月くらいは大変だろうからと言われた。さすが二児の父親だけあって育児についても言葉に思いやりがある。
もし育休を思うように取れないとなれば退職も考えようかと身を強張らせていただけに肩透かしを食らった形だが、会社への感謝は大きい。
チームに伝える
その後チームの定例ミーティングでも育休を取得する旨をメンバーに共有した。
育休開始の一ヶ月前にチームメンバーにも共有できたというのはメンバーの心づもりとしても引き継ぎのことを考えても非常によかったと思う。
メンバーからは頑張ってくださいという程度の当たり障りのない励まし以外は特にコメントはない。入社すぐのメンバー2名もいるし、どちらかというと不安が大きかったと思う。
引き継ぎをする
僕の中で、面談のときに社長に言われた言葉が心に残っていた。
「逆に深町さんがいないことでチームが強くなり、戻ってきたら一気に倍速で開発するような流れが最高だよね」
自分の育休による不在をそのように利点に転化させてしまう考えに感心し、チームを抜ける後ろめたさが和らいだように思う。これを機会にメンバーのリーダーシップや自律性を高め、担当範囲も拡げてしまおう。
そう考えた自分がやったことは、自分の頭の中にあった開発ロードマップを社内Wikiに転載することだった。立場上自分がやらなければならないことはチームが向くべき方向を決めることで、自分の不在で直ちに困る点もそこだろうと考えたのだ。
残したロードマップではさしあたって二ヶ月程度だとは思うが、半育休であるので続きは追って描いていけばよいだろう。
出産、そして育休へ
育休を取得した人は口を揃えて「働いているほうが楽」だという。本当だと思う。
試みに自分の一日のタイムスケジュールを見てみると、16時間 家事育児、5時間 睡眠、3時間 食事・風呂・その他という内容だった。
なぜこのような激務なのかというと、新生児は3時間おきにミルクをあげる必要がある。ミルクを作るのに10分、与えるのに20分、寝かしつけに10分〜60分程度がかかる。そうすると3時間サイクルといっても間は90分〜120分程度しかなく、その間に細切れに睡眠することになる。しかもサイクルの間であってもランダムにオムツが濡れたなどの理由で泣く。
うちの場合は夫婦二人共育休を取得しているため、夜間は交代で看ているので睡眠時間は5時間取れているが、訪問助産師の方に聞く限りこれは長いほうである。人によってはトイレに行く暇もないために膀胱炎になったという話も聞いた。いくら仕事が忙しくてもトイレに行く暇がないという話は聞いたこともない。ワンオペ育児のつらさは想像するだけで恐ろしい。
育休に対するさまざまな反応
人々に、育休を取得している、という話をすると驚かれることが多い。その中でも興味深かった事例を紹介したい。
会社のパーティでチームメンバーの奥さんが来られていたのだが、育休取得について話をしたときに「リーダーが (育休を) 取ってくれると他の人が取りやすくていいですね」と言っていた。全く考えてもみなかったが、自分はよい先例となったのだなとそのとき気付かされた。
また一ヶ月検診の際に、平日昼に父親も同行していることが珍しいらしく小児科の先生に「プログラマは時間の都合がつきやすいのかな?」などと訊かれて「今は育休中です」と言うと「育休!先進的な会社だね」と言われてなんと答えてよいのかわからなかった。育休は国の制度なので会社は関係ないのだけれど。
追記:
id:tomoya_edw なんで「自分も知らず」「後ろめたさを感じていた」事柄を知った後・自分が適用された後では、「会社は関係ない」などと言えるようになるのだろう。
自分の無知を棚に上げている、という意味であれば、相手は小児科医であり僕のような乳幼児の親と毎日顔を合わせる人間は自分よりは知識があろうという先入観からの純粋な驚きです。
自分の特殊な事例を幸運とも思わず厚顔であるという話であれば、そのように思われるのも致し方ないかなと思います。
もちろん「いい会社だね」と言われれば感謝から頷かざるを得ません。けれど法令で定められている以上、単に育休を取れるというだけで「先進的」というのは行き過ぎた賛辞ではないかなというのが僕の感じたことです。弊社も法令がなければ特別な対応をしようとは思わなかったでしょうし。
追記ここまで
おわりに
現代の家庭を持った男性は――自分もそうだが――やや同情さるべき面があると思う。
自分らの父親世代では男は仕事、女は家庭というのが当たり前であったために、現代の共働き家庭でどう振る舞うべきかというロールモデルに乏しい。社会では男性の家庭参加を推奨する一方で、古い価値観を持った人間はその態度を否定しようとしたり拙い男性の努力を鼻で笑う。その板挟みで常に腰が落ち着かないというのが正直な自分の感想である。
僕個人としては女性の社会参加を応援したい。というか今の労働力不足を考えれば女性にも働いてもらうしかこの国を支えることはできない。そして女性の社会進出と男性の家庭参加とは表裏一体である。
まだ大半を残した育休がどのような結末を迎えたとしても僕は自分の決断に後悔することはないだろう。我が子が、この国に生まれて本当に良かった、と思えるような国となるよう日々努力を続けたい。
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*1:育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律 http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=403AC0000000076
*2:第六条 育児休業申出があった場合における事業主の義務等
*3:第十条 不利益取扱いの禁止
*4:https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/keizaisien3003.pdf